2018/02/03

英会話に縁の無い仕事でスタート

私は大学で電子工学を専攻、英語は苦手で授業の出席率でなんとか単位をもらい卒業。
輸入品を取り扱う商社に知り合いの紹介で入社しました。
英語が得意な人は輸入製品を担当しましたが、苦手な私は国内に工場を持つメーカーTexas Instrumens社(以下TI社)製品の営業を命じられ、サラリーマン生活をスタートしました。
1970年代半ば半導体電子部品業界は成長産業で猫の手も借りたい状態で、中学生時代からの工作好きと専攻の電気関係の知識で英文カタログでもなんとか読める私でも歓迎されました。国内の仕入先で国内のお客さんで入社して7年間、英語を使う機会は全くありませんでした。

成果も上げたTI社製品の営業を外れ、新規商品開拓の担当を命じられ、やや腐っているときに成績優秀者ご褒美の海外研修旅行のメンバーに加わえてもらえたのが、初めて海外旅行、いや海外出張でした。
数名のアメリカ研修旅行のメイン目的はロサンゼルスで開かれたエレクトロニクスショーの見学でしたが、その規模は大きく華やかで驚きました。
出張中は米国駐在の社員に案内して頂き、見るもの聞くもの食べるものが珍しく、美味しく楽しい旅行でした。
途中、私以外のTI社担当のメンバーは会場近くのアナハイムのディズニーランドを楽しんでからTI社のダラス本社に向かうスケジュール。
私だけ一人彼らと別れ、ロサンゼルスの空港から初めての海外単独飛行機利用でビクビクしながらサンフランシスコに飛びました。
サンフランシスコに到着、飛行機を降りてゲートに出ましたが、迎えの駐在の方の姿が見当たりません。しばらく、そこで待ちましたが、やがてゲート付近には乗客や迎えの人も少なくなり、人の流れに沿って歩き始めました。
今夜はどうしよう、公衆電話はかけられるのか、これは厳しいことになったあれこれ考えながらトボトボ進みました。幾つかのゲートからの通路がまとまるハブのところで、ベンチに座っている迎えの人を発見、無事合流できました。
お迎えの方は「ちょっと遅くなったので、ここで待ってれば通るはずだから、、、」と言ってましたが、あの心細さはちょっと忘れられない記憶です。携帯電話が無い時代の経験でしたが、以後教訓として出張の際はホテル、訪問先の住所、電話番号をメインバッグと財布など最低2箇所に分けてコピーして持つ様になりました。

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